渡辺省亭

【渡辺省亭】日本画の価値と十年前の思い出

こんにちは。名古屋市西区のWEB/ホームページ製作会社[Aki Web Design]です。
 
今日のブログは少し感傷的かつ日記帳的な内容になります。クライアントの皆様、SEO無視の参考にしてはいけない記事ですので悪しからず。
 

丁稚として日本画廊で働いた10年前について

 
直接お話しした方の中にはご存知の方も多いと思いますが、私は大学卒業と同時に起業し、新卒で内定していた会社を辞退しました。
 
しかし当時の自分にうまく会社を運営することは難しく、1年ほどでその会社を休眠させることとなります。
残ったのは借金と、この先どうしていこうか…という不安だけでした。
 
その落ち込んだ時期に拾ってもらったのが、東京のとある日本画廊(以下の内容から調べればすぐ分かりそうですが、ここではご迷惑にならないように名前を伏せます)で、美術やデザインとの最初の出会いでした。
 
1年にも満たない期間でしたが、丁稚として働かせていただくことで、かけがえのない経験をさせていただきました。
 
先週、そんなお世話になった社長(現会長)がお亡くなりになられたと伺い、焼香をあげるため、数年ぶりに顔を出してきました。
 
私が伺うことができたのは一般焼香で、通夜葬儀は身内で終えられていました。
 
葬儀から日が経っていた為か、お身内の方(家族経営の会社であるため従業員にもご家族がいらっしゃいます)も落ち着いており、焼香後には同行した丁稚時代の仲間とともに、当時を偲んでお話のお時間をいただくこともできました。
 
当時に比べて画廊は大きくなり、店舗も従業員数も売上も大きくなっていましたが、まともな社会経験もなく一般常識も知らない未熟な自分を温かく迎えてくださった、あの時の雰囲気のままの素敵なお店がありました。
 
ご遺影前ではご冥福をお祈りするとともに、改めて感謝を述べさせていただきました。
 
退社してからしばらくは顔を出していましたが、ここ数年ご無沙汰してしまっていたので、また都内に出た時はお邪魔にならない程度に顔を出させていただこうと思います。このようなご縁をいただけ私は本当に幸せだと思います。
 

渡辺省亭のブレイクに見る、価値を創造するというお仕事

 
そんな思い出深い日本画廊ですが、実力の割には世間的な評価が足りない物故作家を掘り出すイベントを定期的に行っています。
 
とりわけ掘り出しに成功し、世間的に評価が浸透しつつあると個人的に思っている画家が渡邊省亭です。
 

“渡辺 省亭(わたなべ せいてい、嘉永4年12月27日(1852年1月18日) – 大正7年(1918年)4月2日)は、明治時代から大正時代にかけての日本画家。洋風表現を取り入れた、洒脱な花鳥画を得意とした。(出典:wikipedia(TOP画像含)”)

 
元々、日本国内に留まらず、ボストン美術館をはじめとした各国の著名美術館に所蔵されるなど実力のある画家でしたが、私が丁稚であった頃はまだまだ評価が十分とはいえない状況でした。
 
図抜けて洒脱な作風で素人目にも上手いと分かり、印象派などにも影響を与えるインフルエンサーとしての立ち位置があり、さらに色彩も鮮やかな日本画でということで、素人丸出しであった当時の私は特に目を惹かれる画家でした。
となれば、もっと広く人気が浸透しそうな気がするのですが、当時は仕入れた商品の売れ行きと値段があまりいいとは言えず「美術は難しい」と思ったものです。
 
しかし、今では各種の研究文献が出版され、上述の画廊が開催した回顧展は東京都内の美術館との連携展示をおこなったこともありSNSでも話題になりました。
 
久しぶりに聞いた作品の値段も当時から右肩上がりということで、まさに物故作家の再評価がなされようとしていると感じました。
 
物故作家の作品を扱う画廊、古物商は一般に物を安く買って高くうる転売屋だと思われがちですが、価値を構築(創造)するというお仕事も行なっているのです。
 
偶然にも私は約10年という月日を通じ、渡邊省亭の価値が再構築される過程を見る事となったわけですが、日本画の世界ではむしろもっと長い時間をかけて構築される場合がほとんどです。
 
WEB/デザイン製作の仕事でも、マーケティングやコンサルの仕事でも、このような「価値をどうやって構築するか」という視野を持って仕事していかないといけません。
 
画廊で丁稚として働いた期間は今とは全く異なる業界での経験ではありましたが、10年という時間を通じて、共通する仕事の本質に気付かされた、そんな事を思いつつ今日のブログを締めたいと思います。
 
 
今日はここまでです。またの更新でお会いしましょう。
 
ひろたか